石見銀山遺跡とその文化的景観

「石見銀山(いわみぎんざん)遺跡(いせき)とその文化的(ぶんかてき)景観(けいかん)」は、2007年(ねん)第(だい)31回(かい)のユネスコ世界(せかい)遺産(いさん)会議(かいぎ)で世界(せかい)文化(ぶんか)遺産(いさん)に登録(とうろく)されました。文化(ぶんか)遺産(いさん)の登録(とうろく)基準(きじゅん)である、2,3,5、を満たす(みたす)ことが認め(みとめ)られたのです:基準(きじゅん)2:ある期間(きかん)を通じ(つうじ)て、または、ある文化圏(ぶんかけん)において、建築(けんちく)、技術(ぎじゅつ)、記念碑(きねんひ)的(てき)芸術(げいじゅつ)、都市(とし)計画(けいかく)、景観(けいかん)デザインの発展(はってん)に関し(にかんし)、人類(じんるい)の価値(かち)の重要(じゅうよう)な交流(こうりゅう)を示す(しめす)もの。基準(きじゅん)3:現存(げんぞん)する、または、消滅(しょうめつ)した文化的(ぶんかてき)伝統(でんとう)、または、文明(ぶんめい)の、唯一(ゆいいつ)の、または少なくとも(すくなくとも)稀(まれ)な証拠(しょうこ)。基準(きじゅん)5:特に(とくに)、不可逆(ふかぎゃく)的(てき)な変化(へんか)の中(なか)で存続(そんぞく)が危ぶま(あやぶま)れている、ある文化(ぶんか)(または、複数(ふくすう)の文化(ぶんか))を代表(だいひょう)する伝統的(でんとうてき)集落(しゅうらく)、または、土地(とち)利用(りよう)の際立っ(きわだっ)た例(れい)。石見銀山(いわみぎんざん)は、戦国時代(せんごくじだい)後期(こうき)から江戸時代(えどじだい)前期(ぜんき)にかけての日本(にっぽん)最大(さいだい)の銀山(ぎんざん)で、その鉱脈(こうみゃく)は現在(げんざい)の島根県(しまねけん)に位置(いち)します。日本(にっぽん)を代表(だいひょう)する鉱山(こうざん)遺跡(いせき)としてすでに1969年(ねん)に国(くに)の指定(してい)の遺跡(いせき)に登録(とうろく)されていました。日本(にっぽん)政府(せいふ)が「石見銀山(いわみぎんざん)遺跡(いせき)とその文化的(ぶんかてき)景観(けいかん)」を世界(せかい)遺産(いさん)の登録(とうろく)の前提(ぜんてい)となる暫定(ざんてい)リストに掲載(けいさい)したのは、2001年(ねん)です。「東西(とうざい)文明(ぶんめい)交流(こうりゅう)に影響(えいきょう)を与え(あたえ)、自然(しぜん)と調和(ちょうわ)した文化的(ぶんかてき)景観(けいかん)を形成(けいせい)した類(るい)を見(み)ない鉱山(こうざん)である」ということでした。しかし、審査(しんさ)にあたるICONOS(国際(こくさい)記念物(きねんぶつ)遺跡(いせき)会議(かいぎ))は、遺跡(いせき)の「普遍的(ふへんてき)価値(かち)」について証拠(しょうこ)不十分(ふじゅうぶん)とし、登録(とうろく)の延期(えんき)を勧告(かんこく)したのです。しかしユネスコ政府(せいふ)代表(だいひょう)が石見銀山(いわみぎんざん)の特徴(とくちょう)である、「山(やま)を崩し(くずし)たり森林(しんりん)を伐採(ばっさい)したりせず、狭い(せまい)坑道(こうどう)を掘り進ん(ほりすすん)で採掘(さいくつ)するという、環境(かんきょう)に配慮(はいりょ)した生産(せいさん)方式(ほうしき)」を積極的(せっきょくてき)に紹介(しょうかい)したことから、「21世紀(せいき)が必要(ひつよう)としている環境(かんきょう)への配慮(はいりょ)」がすでに行われ(おこなわれ)ていたということで登録(とうろく)に至っ(いたっ)たのです。

世界遺産

「石見銀山遺跡とその文化的景観」は、2007年第31回のユネスコ世界遺産会議で世界文化遺産に登録されました。文化遺産の登録基準である、2,3,5、を満たすことが認められたのです:

世界遺産